ところてんとは、そもそも何か?意外と知らない「ところてんと寒天の違い」やところてんの歴史を解説!

つるりと食べられる喉ごしの良いところてん。おかずとしても、おやつとしても食べることができるのも魅力。天草からできているところてんについて、まだまだ知られていないことがたくさんあります。

静岡県清水町で150年の歴史があるところてん専門店『伊豆河童』が、ところてんと寒天の違いや、ところてんの歴史などについてご紹介します。

そもそも、ところてんとは?

スーパーのこんにゃく売り場やコンビニなどでも売っているところてん。風情のある茶屋で食べたことがある、という方もいらっしゃるかもしれません。

そんなところてん、一体何からできているのか?どうやって作られているのか、意外と知らない方も多いかもしれません。まずは、ところてんと寒天の違い、ところてんの原料や製造方法をご紹介します。

意外と知らない、ところてんと寒天の違い

ところてんと寒天って似ていますよね。
ですが、それぞれに特徴があってちょっと違うんです。

ところてんも寒天も、原料はどちらも海藻である天草(テングサ)。
天草からところてんができ、そのところてんを凍らせて乾燥させたものが寒天なんです。

「ところてんと寒天は製法が違うだけ」ということは一般的にはあまり知られていません。

ところてんには海のミネラル分がたくさん含まれていますが、寒天には全く含まれていません。逆に、ところてんには磯の匂いが残るので苦手な人も多いですが、寒天はほとんどにおいがしないので、万人に受け入れられやすく、料理やお菓子にも使うことができます。

ところてんとは

「ところてん」を説明せよ、と言われて正確に説明できる人はなかなか少ないと思います。
ここでは、ところてんについてもう少し詳しく解説していきます。

百科事典で「ところてん」を調べてみると、このように書いてあります。

「寒天原藻のテングサなどを煮て、寒天質を抽出し、冷やし固めたもの。これをところてんつき(てんつき)に入れて線状に突き出し、酢じょうゆや蜜(みつ)をかけて食べる。」
日本大百科全書(ニッポニカ)より

「テングサ,イギス,オゴノリなどを煮て寒天質を溶出させ,それを凝固させた食品。古くはテングサなどをさして〈こころぶと〉と呼び,心太と書いた。」
改訂新版 世界大百科事典より

ところてんの原料は天草(テングサ)。
天草とは、ところてんの原料となる海藻の総称で、一言で「天草」と言ってもマクサ、オオブサ、オニクサ、ヒラクサなど・・・いろんな種類があります。
天草はほぼ日本全国で取れますが、一般的に太平洋岸のほうが量も多く、質も良いといわれています。特に伊豆半島と伊豆諸島では日本の半分以上の生産量があり、海女さんが丁寧に海に潜って取っているので、伊豆産の天草は最上級品質とも言われています。

この天草を水と一緒に煮て、煮汁を漉し、型に流し込んで、固まったものを「ところてん突き」で細く突き出したものが、ところてんです。

寒天とは?

ところてんを凍らせて乾燥させたものが寒天です。

ところてん=寒天なのです。


寒天は17世紀中頃、参勤交代の途中で京都の伏見の旅館に泊まった薩摩藩の藩主が、ところてん料理の食べ残しを外に放置したのが始まりといわれています。
夜に凍ったところてんが昼間に溶けて乾燥したのを宿の主人が発見し、それをヒントに作って売り出したのが寒天なのだそう。
「海なし県」である長野県や岐阜県が寒天の産地なのは、冬に気温が氷点下になって凍らせることができるからなんです。

棒寒天・粉寒天について

寒天には大きく分けて棒寒天(糸寒天)と粉寒天があります。棒寒天や糸寒天は、昔ながらの製法で今でも作られているところが多いです。なので原材料として国産の天草が使われていることも特徴のひとつ。ただ棒状や糸状になっているので使いにくいというマイナス面もあります。
粉寒天は文字通り、寒天を粉末状にしたもの。扱いやすいですが、国産天草100%のものはほとんど無く、外国産の天草や、ところてんには通常使用されない養殖のオゴ草などが使われていることが多いです。国産の粉寒天は貴重なため、かなりの高値になります。

まとめると、
海藻の天草(テングサ)からところてんができて、それを凍らせて乾燥させたものが寒天。
ところてんと寒天は作り方が違うだけ。
ですが、ミネラルが含まれていて、食べた時にほんのり磯の香りがするのがところてんの特徴です。

ところてんの歴史

ところてんはいつ、どこから伝わった?

それではところてんは、どこからどんな風に伝わったのでしょうか?
ところてんは中国から伝わった食べ物です。
いつ頃日本に伝わったのかは諸説ありますが、仏教伝来の頃(538年)中国から精進料理の伝承に伴ってこんにゃくと共にその製法が伝えられたと考えられています。

奈良時代に食用されていたことが正倉院の宝物(ほうもつ)の木簡に記録されていることも確認されているようです。
701年に制定された「大宝律令(たいほうりつりょう)賦役令(ぶやくりょう)」の中には「心太」が貢納品として記されています。

江戸時代中期から幕末まで、ほぼ毎年刊行されていた川柳の句集「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」の91編(文政9(1826)年 刊行)には

「心天売は一本ン半に呼び」

という句が掲載されています。

江戸時代後期の三都(京都・大阪・江戸)の衣食住や行事などをまとめた「守貞謾稿」には
江戸の町を行き来していた行商人:棒手振(ぼてふり)がところてんを売る姿が挿絵として描かれています。

心太売り 『守貞漫稿』国立国会図書館

喜田川季荘編『守貞謾稿 巻 6』国立国会図書館デジタルコレクション

トコロテンは京都、大坂、江戸ともに夏に売られているということや、京・大坂では砂糖をかけて食べ、醤油は使わない。江戸では砂糖もしくは醤油をかけて食べることなどが記されています。(この時代は大阪を大坂と表記していました)

俳句でも詠まれるところてん 


夏につるっと食べるとおいしいところてん。
そんなところてん(心太)は夏の季語にもなっています。

江戸の三大俳人も、このような句を詠んでいます。

松尾芭蕉 清滝の水汲みよせてところてん 
与謝蕪村 ところてん逆しまに銀河三千尺
小林一茶 一尺の滝も涼しや心太

上流階級の食べ物だったところてんは、江戸時代に庶民に広まっていきました。涼を感じる夏の食べ物として人気を集めていたようです。

どうして心太って言うの?


心に太いと書いてトコロテン。たまにクイズ番組などでも「これ、何と読む?」と出題されることもありますよね。どうしてところてんは「心太」と書いて「ところてん」と読むのでしょうか?

平安時代中期に醍醐天皇第5皇女・勤子の依頼により源順(みなもとのしたごう)が手がけた辞書『和名類聚抄』によると、心太の語源は、ところてんの原料である天草(テンクサ)が煮るとドロドロに溶け、さめて煮こごる藻で あるところから、こごる藻葉(コゴルモハ)と呼ばれ、これからできたものを「ココロブト」と呼んでいました。その後「ココロテイ」「ココロテン」と呼び名を変え、江戸時代にはいまの呼び名である「トコロテン」に変化したといわれています。

江戸時代初期の寛永20(1643)年に刊行された料理本『料理物語』にも、「心太と書いてところてん」という表記が残っているそうです。

もともとは「心太」と書いて「こころぶと」と読んでいたものが変化して、呼び方が「トコロテン」に変わったけれど、「心太」の漢字は今でも残っているということのようです。

おいしい心太、あります

https://www.tokoroten.co.jp/c/kakitagawa/tokoroten-trial/puraotamesi6

創業明治二年「ところてんの伊豆河童」では、伊豆産の天草(テングサ)100%、富士山の湧き水を使った職人手作りのところてんを販売しています。

ところてん突きでついた、突きたてのところてんは格別です!

ご自宅でおいしいところてんを、味わってみてくださいね。

伊豆河童サイト https://www.tokoroten.co.jp/

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宮川
静岡県在住ラジオパーソナリティー&インターネット新聞記者。おいしいものとデジモノが好きです。 伊豆河童店長の「伝統の伊豆ところてんを伝え、伊豆の海女さんを守りたい」という思いに共感し、2022年11月より伊豆河童のよみものを担当。 好きなところてんのたれはほうじ茶蜜。